数字のプレッシャーがきつい宝石店店員を辞めた理由

私が大学を卒業し、就職氷河期と言われ始め3年位に内定をもらったのは、宝石チェーン会社でした。

第一希望でなありませんでしたが、内定をもらいほっとしたのを覚えています。
宝石と言えば、生活必需品ではありません。贅沢品?趣味嗜好品です。
売るのは容易ではありませんでした。

知識はもちろん必要ですが、顧客さんを増やしていかないと、中々数字は作れません。ノルマはもちろんありました。

店舗にきた数字を、店員の力量考えながら振り分けという感じでした。
最初の1年目なんて、達成できることもなく、大変でした。でも、それより大変だったのが、顧客が付きだし、移動になったり辞めたりした先輩や、後輩の顧客を、引き継ぐようになってからでした。

元々、人と話すのが苦ではなく、話しも下手な方ではなかった私は、そんな顧客と一見客をフォローしているうちに、3年目に入ろうとしている頃から、数字を達成し始めました。

数字をかかえる職業の方は、分かりますよね?達成し続けなければいけないという、プレッシャー。それに加えて私の場合、生真面目なところがあり、手を抜くということ、上手に息を抜くことができない性格だったので、苦しいものでした。

誉められたい、達成したい、負けず嫌いもあり、ここで未達成なんて悔しい。
その為に、知人、親戚、親、親友人と、東北から愛知まで、外販にも行きました。
命令や指示ではなく、自主的にです。

交通費はもちろん、自腹。

数字を作るため、今月は店内でじっとしていても無理そうと判断すると、出掛けていました。実際、数字は達成し続けていましたし、給料は固定給に歩合でプラスされていましたので、24歳25歳の女子にしては、高給だったと思います。

充実していたと思っていました。きついけどよく頑張っていると思いました。
でもある日、ある日というか、いつの間にか気づいたらと言うのが正しいです。

食欲が落ち、ほんの少量で満腹になり、朝、吐き気がするようになっていました。
電車通勤をしていたのですが、駅に向かおうとすると、吐き気がしだすようになり電車に乗れなくなってしまいました。

寝ても覚めても、数字が頭にありました。ですが、きついながらに、頑張り達成し続けている自分はいやではなかったし、仕事もイヤとは思っていなかった。つもりでした。

体のどこが調子悪いのかも分からず、内科に行き、胃カメラ、大腸検査。何度したことでしょう。その度、検査結果は異常なし。何か悩みあるの?と言う、医者の質問に、いや別に思い当たらないんですよね。としか答えられずにいました。

仕事がイヤではないのに、行こうとすると吐き気、実際もどしたりもしていると、今度は駅に行けない。電車自体に乗れなくなりました。

買い物にいく為にのる電車でさへもです。自転車で通うようにしたりもしました。田舎の親には理解してもらえず、悲しかったのを覚えています。

結局、友人に心療内科をすすめられ、受診しました。診断はパニック障害。今は普通に知られている病名ですよね?当時は、は?と言われる病名でした。パニック障害じたいを、私が理解していなかったです。

苦しかったです。投薬していただき、飲みましたが、やはりすぐ回復するものでもないので、10年以上かかりました。

結果、この状態で仕事を続けていても、潰れてしまう。辞めないと無理と思い始め、退職を申し出ましたが、数字をづくり続けてきた私を、上司は中々辞めさせてはくれるはずもなく。最終的には、結婚するとうそをついて退職しました。

自分ではきついと思っていなかったはずだったので、驚きました。知らず知らずにきついよ!と体が悲鳴をあげて、あんな形で知らせたんだろうなと思います。

通院も10年以上、電車に乗ったり、お店で食事をとることもできなくなっていたので回復には10年以上かかりました。

退職したあとは、環境を変えようと、貯金と失業手当てでしばらく仕事はせず、好きな海の近くに引っ越しました。1〜2年休んでその間、パソコン教室に通ったり。
次に就いた仕事は、パートからゆっくり始めました。

大変な思いをしましたが、緩急のつけかた、仕事に潰されないようにする術、営業のいろは。学んだことはたくさんありました。生きていく上で、これは大切なことです。同じ事を繰り返さないようにしながら、ただいま不動産会社営業事務をしています。

ジュエリーブランド営業、小さな会社の良さと限界

大学卒業新卒で、一つのフランスブランドのジュエリーのみを扱う会社に就職しました。規模は社長以下9名の会社。

少数精鋭で、一応誰もが知っている有名なブランドの商品を扱う会社としても魅力があり、応募しました。面接も社長自ら担当してくださり、親しみやすさとアットホームな印象を受け、入社することになりました。

業務内容はジュエリーの製造販売、輸入、仕入れ、直営店での販売と販売店、百貨店への卸などの一貫した内容でしたが、私は卸の営業を担当することになり、取締役の営業部長の下で働くことになりました。

同期入社は6名。それぞれ営業職や仕入れ材料の管理の仕事などがありましたが私は他社との取引先とのお仕事の中で、新卒という事もあり様々な事を教えていただき、とてもよい関係を作らせていただくこともできたのもあり営業の仕事をとても充実感のある仕事だと楽しんでいました。

取引先のベテランの販売員さんに可愛がっていただき、それまでそのお店の私の会社の商品の月の販売平均が15万円だったのを、200万円に躍進させることが出来たり、人とのつながりで実績を残すことが出来る仕事の達成感に充実感も覚えていました。

上司の営業部長も、私たち新人を積極的に地方の展示会や商談などに連れて行ってくれ、たくさんの勉強をさせてくれていました。

しかし、社長は目の届かないところでの仕事が面白くないのか、また以前からあった社長と営業部長との間での確執もほどなくしてみんな知る事になったのですが、私たちが営業部長と出張や遠出などあると、個別に呼び出し「セクハラなどなかったか」など、非常にレベルの低い質問わされて嫌な思いなど多々ありました。

そうすることによって、営業部長とワンマンな社長との溝はますます深まり、営業部長は直営店のお店の担当だけになり本社にもあまり来させないようになり、ほどなくして営業部長は退職となりました。

それに伴って、直属の部下であった私は経理事務に異動になり、順調だったお取引先との関係もたたれ、外回りでの充実した社会勉強もなくなってしまいました。

しかし初めての経理事務だったので、勉強になる事もたくさんありましたが、社内のほとんどの業務が女性の部長がしており、単純な簡単な仕事しか任せてもらえなかったため売り上げも低迷していたその頃、業務は一日20分くらいで終了してしまい、残りの時間は同じ計算を何度も繰り返して時間をつぶす毎日でした。

営業部長との社長のやり取りに、社員一同納得がいかない気持ちでしたが、やりきれない気持ちを抑えながら日々過ごす状態でした。

社長だけでなく、女の部長は社長の愛人でした。そのため、二人での会社という形を守るためにも、部長が邪魔になっていったとどろどろの状態の会社でした。

事務所では女部長がすべてを取り仕切っているので、営業の課長達も逆らう事が出来ず、私たちも事務所では一言も話もせず毎日張りつめた状態でした。

他社の人たちも事務所内の状態が有名になっていて、電話口で「今日はいるの?話せないんでしょ?」などと気遣ってくれるほどの状態でした。

ほどなくして、こんな息が詰まる状態を半年ほど続けた頃、うつ病になりました。医者にもいきましたが、すぐに環境を変えるのはあまりよくない、と言われそれから7か月後、退職することになりました。

気持ちがぼろぼろの状態で、退職しては後々もダメージが残るような気がしていた時、気持ちの変化がある事件が起こりました。

同期の女子社員で、ちょっとミスが多くて社長から目をつけられていた子が、ダイヤモンドの石が紛失した時にその人の責任としたのです。

どう考えても紛失させてしまう状態や、最悪盗んだのではという事も言われていたこともあり得ない状態だったのは明らかだったのですが、ことの終息を同期の人の責任にしたのです。
その人は、我慢できずに自主退職しましたが、そこまでひどい扱いをする社長と女部長に、強い怒りを感じました。

自分の今の仕事の状態も、もちろんよくはありませんが、入社して2年もたっていないのに退職するのは経歴的にも良くはないので、しかるべき時が来たらすっぱりと、会社を去ろうと思いました。

程よい時期に、次の転職先を見つけ、理由は別の個人的理由にして円満な「応援してますよ」という社長の言葉で退職しました。

その後、同期入社の6名は、3年以内に会社の今後にも憂慮し全員が退職しました。

会社での状況に押し潰れそうな気持ではなく、反対に会社を見限って前進してやる、そんな気持ちになれた事件があったからこそ、清々しく会社を後にすることが出来たのかもしれません。

また、正しい気持ちをもって、次への励みにもなったのではと思います。

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