『パチンコ』パニック障害を理解してもらえず、辞めました

パチンコ店のホールスタッフとして働いていました。

小さな頃から自律神経失調症で精神のバランスはよくありませんでしたが、27歳の時にパニック障害と診断されました。

思い返せば小学生の頃から症状は出ていたと思います。

そのためパニック発作という自覚はなく、当たり前の物として受け入れている部分はありました。

パニック障害の恐ろしい所は発作を繰り返すことです。

発作を起こせば、発作が怖くなりまた発作を起こすというスパイラルが生まれてしまうのです。

そこから二次的に鬱になっていきます。

それでも働かなくては生きていけない。病気と闘いながら働いていかなくてはいけませんでした。

思い通りに体が動かないことがあります。まったく頭が働かない時もあります。

不具合を見つけてはそれに対処していかなければいけないので、精神的な疲労は人よりも多かったと思います。

そのために職場の方に迷惑をかけてしまうこともありました。

仕事中に具合が悪くなってしまったり、どうしても起き上がることが出来ずに遅刻をしてしまったりしました。

生活の改善などでなんとか対処しようとは思っていても、思うように体が反応してくれることの方が少ないので苦労しました。

申し訳ないと思いつつも、仕事をしている時はしっかりとこなしていたつもりです。

素早く動き、考え、誰よりも真面目に働いていたという自負もありました。

しかし、体の不調から思うように働けない場合が増えていくと攻撃の対象となります。

どうして具合が悪くなるのか、どうして遅刻するのか。

理解を得るために事細かに説明するのですが、やはり体験していないものはピンと来る人の方が少ないようで理解を得ることはできませんでした。

規制が強まる一方のパチンコ業界の中で、お店が生き残っていくためにどうすればいいのかを真剣に考え、決まりごとが増えればそれを忠実に守ってきました。

頑張っていたつもりではいましたが、精神にかかる負荷は自分で思っているよりも大きく、体の不具合が減ることはありませんでした。

そんな中で同僚の一人は不具合を起こす度に突いてくるようになりました。

事情を話すと「病気を盾にしている、甘えている」と返されます。

こちらにはそんなつもりは全くありません。自分でもよくわからないうちに体が動かなくなってしまいます。

そんな言葉を聞けば精神へのダメージも軽くはありません。

シフトをずらしてみたり、LINEをブロックしてみたりと避けてみましたが、同じ職場にいる以上は顔を合わせないわけにはいきません。

その人との交流は減っていきましたが、その後は他の人を介して意見が伝わってくることが増えました。

私の体調に対して苦言を呈すのはその人だけでしたで、誰の意見かはすぐにわかります。

鬱の症状も進んでいたので、仕事を辞めればその後社会復帰するまでに時間がかかることも自分でわかっていました。

それでもその人の事を思い出してしまったり、その人を思い出させるような出来事に対すると、体調は悪くなります。

辞めるわけにはいかないという気持ちと、辞めなくてはいけないかもしれないという気持ちが入り混じりはじめ、精神的に追い詰められていきました。

生活のために辞めるわけにはいかなかった仕事ですが、店長との話し合いの末に退職を決めました。

その後危惧していた通り、社会復帰できずにいます。

なんとか在宅で出来る仕事を探し暮らしていますが、その職場で働いていた時の収入には遠く及ばないため生活は苦しいです。

パニック障害やうつ病などに代表される神経障害に対する理解がもう少しあればトラブルは回避できたのかと思うと悔しくてたまりません。

弱者を虐げ、自分が上の立場に立ちたいという気持ちも理解できなくはありませんが、下手をすれば取り返しのつかないことになっていた可能性だって否めません。

神経障害が一般的に認知され始めた今だからこそ、病気に苦しんでいる人が安心して働ける職場の普及を急いでほしいと思います。

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