メディア業界で精神を病み、自殺未遂・・・そのまま会社を辞めました

まず簡単に私の経歴を説明しようと思う。

私は専門学校を卒業した直後、右も左もわからないまま、無謀にも「個人事業主」、フリーライターとして活動を始めた。

始めた直後からそこそこの仕事があり、実家暮らしではあったが何とか生活がもできていた。当日運良く、とあるラジオ局でのADの仕事をいただけたからだ。

同時に某出版社での連載やwebニュースの仕事をいただいたりと、出だしは好調だった。そんなこんなで2年目、私は収入のメインであったラジオ局の仕事を辞めざるをえない事態になった。(様々な要因があったが関係ないのでここでは割愛)

そしてそこから2年後。実家もでて、彼女と同棲しながらそこそこ生活していけるようになったとき、2年前に辞めたラジオ局から1本の電話。

それは、また一緒に働かないか?というものであった。元来よりラジオの仕事を夢見て大人になってきたのもあり、このときの誘いはまさにチャンス。

しかも彼女との生活の安定や結婚も考えていたこともあり、もちろん快諾した。が、それが間違いであったのは今になって実感している。

さて、メディア業界というのは知っている人も多いだろうが、制作に関わる人間は基本的には私のようなフリーの人間であったり制作会社であったり、下請けというのが基本だ。だから立場がどうしても弱い。そこをまず念頭に入れておいていただこう。

2015年4月、私はある帯番組のADとしてラジオの仕事に復帰。しかし、ギャラの額に驚愕。以前勤めていたときよりも3割ほど少なかったのだ。

担当番組は朝の番組。当然出社時間も朝5時と早い。番組自体は昼に終わるが、翌日の番組の仕込みもあるため、作業時間は当然かかる。

一方、ラジオだけでは食べていけないため、その他もろもろの仕事も量は減らしつつも続けていた。

“毎日”朝4時に起き、全ての仕事が終わり帰宅するのが夜中1時。もうこの時点で「うわっ…」と思う人も多いだろう。最初はまだ良かった。しかし2ヶ月も経つと限界を迎えていた。それでも頑張っていたのは好きなラジオの仕事であると同時に、一緒に暮らす彼女がいたからだ。

初めは2ヶ月目に体調を崩した。

しかしラジオは生放送で空きを作るわけにはいかず、他の仕事を減らした。

しかし減らした分、局からは仕事が増やされる。しかも信じがたいことに、減らした仕事のギャラよりも少ない金額での仕事が増えるのだ。

これはデスマーチ以外の何物でもない。

それでも生活がかかっている。一度断ってしまった他の仕事が、再び自分の元に戻ってくることは無いというのがフリーランス。

このラジオという業界で必死に生き延びるしかなかった。

疲労やストレスで仕事の精度も落ち、頭が働かなくなり原稿も書けない。

そして番組ディレクター(つまりは上司にあたる人)から毎朝「おはよう」の代わりに「死ね」と言われるようになる。

ある日、職場に長く勤めていた人が退職することになり送別会が開かれた。

仕事に追われていて正直それどころではなかったがお世話になっていた人でもあったため、無理して出席。二次会にも参加した。

しかし、笑えてくるのは、一緒に参加していた同じ番組を担当する女性スタッフ。

送別会にもかかわらず、朝までひたすら私を罵倒し説教をし続けた。そのバイタリティを仕事に生かしてほしいものである。

もう限界だった。それは仕事の忙しさではなく、毎日浴びせられる罵声だ。

元々生活できる程度に仕事もあり、そこそこの余暇を持ちながら生活出来ていたのに、それらを失ってまでこの生活を続ける意味を考えそうになった。

ある日夜遅くまで仕事をしていると、その女性スタッフは言った。

「頑張りがいっさい感じられない。他の仕事もしていて、この仕事ができなくなるなら他の仕事を辞めて専念しなさい」

自分「しかしお金の問題があります。私1人ならまだしも同棲している相手もいるのです」

「だったら生活のレベルを落とせばいいじゃない」

マリーアントワネットばりの発想力には最早脱帽である。

そして帰宅前、またその日何度目かわからない「死ね」を言われた。

人間不思議なもので毎日死ね死ね言われていると「お、じゃあいっちょ死んでみっか!」という気分になる。

私は翌朝首を吊った。

運良く彼女に見つかり病院へ。鬱と診断され無事生還。

病院で発行された診断書と3ヶ月間の休職願いを彼女が会社にまで持って行ってくれた。「無事受理されたよ」と彼女から報告された。

1ヶ月後、会社から電話があり「このような形で辞めることになるのは残念。でも誰しも幸せになる権利はある。君もこれからの人生頑張って」

あれ?休職願いは?いや、そこに復職する気なんて無かったけどさ。あれ?

その時わかった。やはり下請け、個人事業主、フリーもいうのは立場が弱いのだ。

働いていたときのスタッフも全員フリーの人間だ。フリーがフリーをいじめ、虐げる。

そして私は未だに鬱病の治療中である。

アシスタントディレクター 拘束時間が長くて自分の時間が持てなかったため。

私はテレビ業界に興味があってアシスタントディレクターになりました。

やるんだったら東京で!と考えており、就職を機に東京へと上京しました。

新卒採用だったので2月頃から、研修が始まりその時は学生だったので、なかなかハードな毎日でした。

ですがその時は興味が先に動いていたので疲れた!等思う事はありませんでした。

そして4月さっそく某テレビ局の宇宙関係の番組担当になりました。

毎日が目まぐるしくハードに動いていました。

番組に使う素材集め、アポ取り、編集作業etc…

初めてやることばかりでとまどう毎日。

ですが、番組の規模が小さかったのかこのときはまだ自分の時間もあり、家に帰れました。

数ヶ月がたち、、、番組移動をすることになりました。

いまのとこよりも規模が何倍もある番組とのことでした。

そして某テレビ局の音楽関係の番組担当をしました。

初めは規模の差に圧倒されていました。

ですがすぐに忙しくなり、毎日まいにち目まぐるしく日々を送りました。

前の所とは違い、音楽収録があるので

毎回収録の臨場感が凄くて圧倒されていました。

プ、プロ、、って凄い、、

毎回思っていました。

編集作業もかなりの量が毎回あるので寝れない日々が多々ありました。

何日か徹夜もしたことあります。家にも帰れない日が多くなりました。

ですが、自分が素材集めたり、自分自身が担当した回の放送が流れる度に

最後まで諦めずに完成させて良かったー!と

思えるようになりました。

そう思うようになってからは忙しいけど楽しい!と思えるようになったので毎日毎日寝不足だけど頑張れました。

夏は休みはありませんでした。暑い炎天下の中、ライブ撮影を行うので寝不足+疲れでフラフラだったと思います。

この時東京にきて1年と数ヶ月たっていました。

東京でオススメのスポットは?

今度遊びいくから東京案内して

とか地元の友達から何度もお誘いがありました。

そして気づきました。

私、東京来てから何にもしてない。仕事しか。と本当に驚いてしまいました。

その日から自分のやりたいことをまた改めて考えることにしました。

本当にしたいことなのか?このままでいいのか?

本当に大切な事は自分にとってなんだろうか。

正直心のどこかでこの仕事はずーとは続けられないなーと思っていました。

本当にディレクターになりたい。とか

プロデューサーになりたい。とか

思わないと続けられないと。

私は興味で入って、いままで興味、楽しい!で乗り越えてきました。

私にとってアシスタントディレクターはやりたいことの1つでしかなかったのです。

やらないとわからない性格で、何も知らずに飛び込んだ世界。

目まぐるしく過ぎてゆく日々。

たまに感じていた外の空気の劣等感。

楽しい!と自分に嘘をついていたのかもしれません。

そう思い、私はアシスタントディレクターというお仕事を辞める決意をしました。

もっともっといろんな世界を知りたいために。

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コメント

  1. 学生 より:

    生活がかかっている以上安易に仕事を辞められなくつらい思いをする人が報われるような日本社会になってほしいと切実に思いました。

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